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 そしてラスベガスへ。
 飛行機はノースウェスト。ロスアンゼルス経由で十数時間の長旅だ。
 まずはラウンジでメールチェックと返事の下書き。
 モバイル無線ルーター「クティオ」を導入したので、日本国内ならどこでもネットが自在に使える。海外でも、PC同士の接続に面倒なアドホックを使わずにセキュアーな環境で接続もできる。

 Eモバイルのカードを挿しておけば、1枚のカードで複数マシンからの無線LANアクセスも可能だ。
 中国からネットショッピングして自宅に送らせておいたので、後半戦から使えるのがありがたい。便利な世の中になったものだ。

 ノースウェスト航空独特のバス感覚の気楽なノリで飛行機に搭乗し、まずはロスアンゼルスに向かう。しかし、予想外の強い追い風で飛行機ががんがん揺れまくる。
2009-04-18_18:48-teduka-C(0)::General

 その後、仁川経由でいったん日本に戻り、雑務とコンピュータの整備に追われる。
 あまりにバタバタで、ご挨拶のメールを出している暇もない。
 飛行機が仁川経由のため、15日が丸々つぶれるのが痛い。
 それにしても、天津空港は非常にきれいになっていた。
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 プライオリティパスのおかげでラウンジも使えて過ごしやすいのではあるが、出国後に両替がないのと、以前気に入っていた茶葉屋が無くなっていたのには参った。
 ばたばたと仮眠程度しかできずに準備を終え、再び成田へと向かう。
 会話をする時間もほとんど取れないことに妻がいらいらして揉めるが、これも仕事なのだからしょうがない。
 牧歌的だったCGの世界も、海外での情報収集とコネクションがないとやっていけない時代になったのだ。
 中国で身の内に点いた火に炙られて、がんばらねばと思う反面、少々複雑な思いでもある。
2009-04-18_07:51-teduka-C(0)::General

 その後、D氏の車での案内で、天津へと向かった。
 大陸を陸路移動するのは、わくわくする。
 どこまでも道はまっすぐに続き、そのあいだずっと田畑が続く。この面積をすべて耕作地にしているのだから、中国のスケールには圧倒される。


 天津の街は、古い租界地の面影を残し非常に美しい。


 空気も北京に比べるとまだきれいである。とはいえ、大陸特有の濃い黄砂で、のどがやられるのは仕方がないが。
 天津のホテルは、町中の4つ星ホテル。
 ここはなかなか快適であったが、サービスがおおざっぱで中国を実感する。たとえば、アイロンを頼んでも1時間たっても持ってこない。ウェイクアップコールをすれば30分遅れる。とはいえそのいずれもちゃんと謝ってくれたので。オーストラリアで経験したオージー流のおおざっぱさに比べればまだまだ丁寧といえるだろう。さすがは心配りの得意なアジア圏なのだ。
 天津では、日本人ばかり6人集まった会に混ぜていただき、日本料理をいただいた。
 海外でこれだけうまい日本食が食えるのは幸せだ。
 ところでこの夜には問題が一つだけあった。深夜、ちょいと腹が痛くなってしまったのだ。
 いろいろ思い返してみるに、どうも北京で自分でわかして飲んだお茶が加熱不十分だったらしい。
 中国では水道圧が足りず、特に昼間には上水に下水が混じることがある。思え返せば、お茶を飲んだのは午後早く。どうも北京の部屋ににおっていたのはそのにおいであったようだ。
 とりあえず、日本から事前に処方されていた抗生物質を飲み、何とか乗り切ることを狙う。
 まだまだ旅は5分の1を過ぎたばかりなのだ。


 翌日は、今回の目的地であるS社さんへと向かった。
 ここは非常にいい会社さんで、以前にも、2年ほど前の会社設立直後にお世話になっている。
 ちょっとした仕事の話と取材を済ませた後会話に花を咲かせたが、この2年間でのみなさんの活躍はまさに獅子奮迅の模様であった。また、そこで合流したCGスタジオのA社さんも大活躍をしている模様。安穏と日本でモノを作っているだけの自分の姿に引け目を感じる。
 もっと前に出て戦わなければと強く思った次第である。
 その夜は、ちょっとしたパーティに混ぜていただき、おいしい中華料理をいただいた。
 食事後は飲みながら深夜まで中国CGビジネスについて語り明かした。
 A社の人が非常に酒に強く、久々に酔いつぶれてしまって最後の方の記憶が飛び飛びなのが少々不安だ。
 酒の力で失礼なことを口走っていないといいが……
 今回の旅のどこかで、ご挨拶と無礼のお詫びメールでも送ろうと思う。
2009-04-18_07:47-teduka-C(0)::General

 その後、ホテルでmbook-M1のセットアップをしたあと仮眠をとり、大韓航空で次の目的地である北京へと向かった。

 仁川空港は中国に行くには本当に便利な空港なのだが、ここを使うためには大韓かアシアナを使わざるを得ない。食事がうまいのが救いではあるが、中国語と韓国語、そして世界共通の航空後である英語しか通じないCAさんが多いため、必然的に英語での会話となる。
 最近は中国への直行便を使った短期の出張ばかりが続いていたため、本格的な英会話は1年ぶりとなる。最初は全く通じずに焦りまくる。こんなことで、あと半月の長旅を乗り切れるのだろうか。
 北京空港に降り立つと、懐かしい糞便のにおいがかすかに鼻をついた。
 中国はまだ紙を流せないタイプの水洗トイレが主流なので、使用後の紙をトイレのくずかごに入れる習慣がついている。そのため、海外レベルの設備の行き届いた空港であっても、このにおいがするのだ。
 まあ、トイレに住む訳でもないので慣れればどうってことはないのだが、最初は少々戸惑う。


 その後、タクシーで市内のホテルに移動。

 タクシーは片言の北京語での会話だ。
 中国語は、聞くだけならば頭の中で漢文に置き換えれば意味がわかる。しかし、発音が絶望的に難しい。オバチャン運転手さんと最後は筆談を交わして、何とかホテルに着くことができた。
 他の国なら頼れるAMEXのビジネスサポートサービスの数々も、この国では使えない。
 タクシーの運転手さんも地方出身者が多いため、あまり道を知らない。もちろんGPSもない。
 私のような中国来訪10回もない初心者には、ただ空港からホテルに移動するだけで大冒険なのである。
 ホテルの部屋は、値段の割にそこそこの部屋であったが、運悪くちょっと下水のにおいが鼻につく部屋であった。
 まあ中国ではよくあることなので、気にせずに部屋付属の電気湯沸かし器でお茶を沸かして飲んだ。

 その夜は、杭州在住のビジネスの大先輩ジャズバーのY社長のサプライズ訪問があり、今回の出張をコーディネートしていただいたO先生や去年知り合った年の近いO氏との異業種交流を果たすことができた。
 うれしい誤算である。
 それにしてもみんな、異国の地ですばらしい活躍をしている。
 それに引き替え我が身は、蛸壺化した日本のアニメ業界でのたうち苦しんでいるだけだ。
 いくら我が社のアニメ技術は日本一と言われても、それが金銭や社会的地位として評価されないのでは、中長期的視野では無意味になってしまう。
 なんとかせねばという焦りにもにた感情が強くなる。


 ホテルで一泊し、Oさんや先方企業のD氏の案内で、2件のネットゲーム会社を見学&取材。
 D氏は中国人ながら日本語がぺらぺらの人物で、非常に頼れる。
 D氏の通訳でいろいろと理解したが、中国では数百人規模のCGスタジオやゲーム制作スタジオではまだまだ零細で、1000人を超えて初めてちゃんとした名のある企業といえる状況のようだ。
 つまり中国基準では日本には一社もちゃんとした名のあるCG企業がないということになる。
 確かに、この規模でやれば薄利多売でもスケールメリットで十分に利益が上がる。
 日本の制作会社がどこも貧乏に苦しむ理由がちょっと見えてきた気がした。
2009-04-18_07:40-teduka-C(0)::General

 早朝4時に家を出発し、ソウルに着いたのは昼過ぎのことだった。

 成田、仁川という共に都心部からは非常に遠い空港を使っても半日もかからずに到着する。近いというか、ほとんど国内の感覚だ。

 ホテルはちょっと気張ってウェスティンチョウスンのエグゼクティブルームとなった。
 とは言っても別に社長を気取ったわけではなく、空前のウォン安に伴う訪韓ブームで部屋がここしか取れなかったと言うだけのことだ。こういう場所取り合戦において、数ヶ月前から予約をしている観光客に比べ、出張者はどうしても不利なのである。
 ホテルは日本人が多く……というか日本人しかいない。
 ただ、ホテルも含めて全般にウォン安の影響で明らかにサービスが低下しているが、まあ仕方がない。チェックインもそこそこに、ソウルの街へと繰り出した。

2009-04-18_07:32-teduka-C(0)::General