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 刀、一振りの歴史(その1)の続きです。


先生「まあそうですね(笑) しかしながら、この刀の由来には少々事情がありまして、実はこの助廣という人は……」
 先生は、そう言いかけたあと、ふと、妙な質問をなさったのです。
先生「ああ、そういえば、手塚さんは名刀を何本も持ってらっしゃるんでしょうね」
 え? ……いえ、脇差しはともかく、まっとうな刀はこれが初めてです。
先生「おや、そうですか?」
 ただ、信州の田舎の親戚連には何本かあるようですが。
 私がそういうと、先生はああ、と納得されたような声を出されて元の話題に戻られたのです。
先生「……まあ要するに、若打ち(若い頃の別銘での刀)にこういう銘があるんですよ」
 そして、簡単に助廣の歴史についてのお話がありました。先日までに聞いていた、店番のおばさん経由での話と合わせると、こんな感じです。(なお、聞き違いなどの責は私にあります(^^;)


 つまり、先代のそぼろ助廣とこの刀を打ったと思われる二代目の津田助廣は恐らく実の親子で、この刀はその親子が揃っていた時期の作であろう、と。実際、先代が引いて、先代の代打ちをしていた二代目が跡目を継いでからのごくわずかな時期だけ、「越前守源助廣」での銘があるのです。
 だから銘も安定しないし、この刀に至っては、作風はそぼろ助廣そのもの。絢爛豪華な後期津田助廣の濤濫刃仕上げではなく、地味な直刃の、よく切れる実戦刀に仕上がっているのでしょう。
 丸津田、角津田などといわれる、他人にデザインをして貰っていたサインを使っていた後期助廣とは異なり、このころの銘はあからさまに定型のない手彫りでただでさえ贋作が作りにくいのに、昭和に入ってからようやく研究が進んで実在が確かめられたような世間に知られていない若打ち銘を真似て、そぼろ助廣でも通るような直刃の出来の良い刀をわざわざ持ってきて、そこに偽銘を入れる必要が無い、というお話でした。
 だったら、贋作をするにしても、素直に作風が同じ先代のそぼろ助廣の銘を入れるか、あるいはいっそ直刃の無名優良刀として売った方がよいのではないかという理屈です。
 二代目助廣の魅力は濤濫刃なのであって、これだけ目の詰まった地肌を持つ出来の良い直刃刀を二代目の世にあまり知られていない銘での若打ちと偽装する理由がないのです。
 錆の具合から見てこの銘は江戸時代に刻まれたものであり、写真技術のない当時、しかも贋作師に若打ちの押し型などの入手が出来たかどうかも怪しく、これだけ似せるのは至難の業であろう、ということでした。
 ただ、この刀が贋作とされてしまったのには仕方がない側面があり、虎鉄と助廣と真改は、存命時から偽物が多く、そのために、世に出ているほぼ100%が偽物なのだそうです。(ちなみにこの3人は同時期の人で、助廣と真改は同じ大阪在住で仲が良かったそうです)
 もっと言えば、実は、本物とされている助廣のかなりが偽物ではないか、とも言われているわけで……。本物がどんなものか確実にはわからない以上、つまり、現状では本物を100%確実に同定する方法が無いわけです。
 従って、本物と思われるような出来の良い直刃の刀ではあっても、同定のしにくい銘切れの助廣銘が入っている時点で、半ば自動的に偽銘鑑定となる、というわけです。
 要するにこの刀は、どこまで行っても偽銘の安物というわけで……(笑)


 なるほど、と思われるお話です。
私「うーん。では、この刀は居合などには使わない方が良いですよね?」
 本物の可能性があるというのは嬉しいことですが、居合に使う気満々でいた私に取っては、嬉しい悲鳴という感じです。
 しかしそこは先生、にっこりと微笑まれ……
先生「(細身なので試斬はどうかと思いますが)素性が良いだけに居合になら向いていますよ。でも、どうぞ、手塚さんのお好きなようにいかようにでもなさってください。手塚さんの御刀ですので」
 なるほど。自分がこの刀を一時預かる、この刀の歴史上の大勢の主人の中の一人となるのか、それともこの刀の最後の主人となるのかの判断をすることこそが、持ち主の特権、ということなんですね。
 刀の主人となるということは、その刀の歴史を終わらせる権利を持つと言うことであり……なんとも重い判断を任せられるものです。
 ……まあ、皆さんご存じの通りの私の性格上、どんどん使っちゃうとは思うんですが(^^;


 さて。
 ここまでならば、まあ普通の刀剣好きの日本人なら良くあるお話です。
 ここからが、今回の本題。ちょっと不思議なお話。


 ……実は、先生のお話のあとで、この刀について自分でも調べてみて、興味深いことがわかってきたのです。


 まず、この助廣。実は近年になって大鑑が2冊出ているので、そこから引用をして比較をしてみました。

 左端のものが私の刀の茎、その他のが引用した正真の茎です。
 私の刀はこのように銘が切れていて、「助○」になっています。
 どうでしょう?
 ちょっと目釘穴から銘までの距離が気になるのですが、この翌年の「越前守藤原助廣」の銘ではこのくらいの距離なので、決定的な偽銘の証拠とはなりにくいかな、と思っています。ただ、「越」の字は、上から薄れた部分を打ち直した感じもありますね。
 正直出来は良く、もし銘切れしていなければ、無銘の刀であったとしても、到底私に買える刀ではなかったような気がしています。
 しかし現実には今、偽銘の安ガタナとして私の手元に舞い込んできたわけです。
 これも、まさに運命。


 で、大鑑を読み進める内、実は、助廣親子が隠れクリスチャンだったのではないか、という説が濃厚であるという記述に驚きました。
 そもそも、父である「そぼろ助廣」の「そぼろ」は、「そ木路」という当て字がしてあったために鍛冶場を置いた場所の路地銘であるとされてきていたのですが、実は、大阪にはそんなに地名は存在していないらしいのです。
 では何なのかというと、フランシスコザビエルの弟子、マラッカで洗礼を受け日本人最初のクリスチャンとして活躍した、パウロ・ヤジロウ(ポール・アンジロー)の洗礼名でもある、セント・パウロの当て字で、「そ・ぽろ」である、という説があるらしいのです。
 実際、そぼろ助廣は、高名な刀鍛冶であるにもかかわらず、常にこじきのような格好をしていたとも言われ(そのため、「素でボロ」から「そぼろ」という説もある)、清貧を持って徳とするクリスチャン的な生活が見られた、という話もあります。
 また、二代目の津田助廣も、ザビエル来日120周年の寛文9年12月の日付けを入れ、わざわざ「天帝」という号の入った名刀を打ち上げています。この天帝は漢文から1字ずつつまみ取ったのだと本人は言っていたそうですが、そもそも、12月で天帝なんて、確かになんだか意味深です。
 さすがに、日本刀という神道に密接する職業の者の話であるだけに、2つの大鑑の内の片方では明確に否定していますが、それでも、重要な説の一つとして取り上げざるを得ないほどにメジャーな説であるようです。もう一つの大鑑の方では、否定すらしていません。
 また、助廣親子は南蛮鉄(ダマスカスで有名なウーツ鋼)を積極的に用いていたことでも知られ、特に、二代目助廣の十文字槍には十字架を思わせるデザインのものがあるそうです。この時代は、島原の乱の直後であり、まだ鎖国が完了して居らず、キリシタン弾圧が行われてゆく過程でもありました。つまり、助廣と西欧との繋がりは充分にあったわけです。
 では、大鑑から引っ張ってきた、十文字槍の代表作の押し型を見てみましょう。

 確かに、西洋の十字架を思わせるデザインです。しかも、これも南蛮鉄。
 これは実は、助廣のパトロンからの依頼作で、このパトロンからの依頼は、全て南蛮鉄で仕上げてあるそうです。
 このパトロンとの関係も、助廣親子のクリスチャン説を押しているようです。
 そのパトロンの名は……

 手塚末葉金刺光秀。
 ……なんか見覚えのある名字ですね。
 ……ええと(^^;


 ……なにやってんだ、ご先祖様。
 い、いや、わざわざ手塚末葉なんて書いて滅んだ主家である金刺の姓を名乗り直してあるから、恐らく大阪あたりに出た分家の方でうちの直接のご先祖ではないのでしょうけど、金刺系(つまりは諏訪系で木曽義仲の元配下の家系)の手塚家と言ったら、ほぼ間違いなくかなり近い親戚の方。
 うーん、手塚の家は神道系で、隠れキリシタンとは無縁だと思ったんだがなあ。
 先生の意味深なお言葉、ひょっとしてこのことを言っていたのかも知れませんね。


 それにしても、こりゃ、うちに助廣が来るのも納得です。
 刀剣の世界では、人が刀を選ぶのではなく、刀が主人を選びます。
 この刀は所詮は銘切れの安ガタナですが……例え刀身は偽物だったにしても、確かに本物かも知れないな、とそう思えてくるのです。




PS
 ああ、もちろん、偽銘の偽刀の確率の方が圧倒的に高いですからね(笑)
 刀の魂の部分としてはともかく物理現象としては、99.9%偽銘だと思っています。
 刀剣好きの夢話を、真に受けないように! ワハハハハ(^^;
2008-06-20_02:06-teduka-C(3)::General